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Anu orta veniya 解読

挿絵担当のリーマンが修羅の庭から帰ってくるまで、しばしお待ちあれ。
時間稼ぎにAnu orta veniyaの解読を少しずつ書いていきますね。

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G: ギリシア語の語彙
L: ラテン語の語彙
G?: ギリシア語由来?
L?: ラテン語由来?
PD: パンツァースタッフによる独自設定。

ギリシア文字はラテン綴りに置換した。
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1)Anu orta veniya serere krythe praiar sol torrere solum
 夜が明けたら畑に麦を播こう 日差しが土を焼く前に
→if/dawn/come/sow/barley/before/son/dry/soil

anu もしも~なら。G.
orta 夜明け PD.
  ort(オルト)はドイツ語で「角、隅」とかいう程度の意味。
  ほかにも靴職人の使うような「大針」だとか、「坑道の切羽」だとか、
  または隠語的に、「そこんとこ」(例:der gute ortで「墓地」)を指す。
  私の手持ちの小さな辞典には、「orta=剣の切っ先」という単語は載ってない。
  製作者さんが直接独語辞典を引いて、
  こんなマイナー単語からわざわざ人名を派生させたとは考えにくいので、
  たぶんドイツ風の女の子の名前をまとめた資料の中から、
  それらしい理屈がつきそうなものを選んだのだと勝手に憶測。
  まさか、直接の元ネタは警察犬名一覧じゃないだろな。
  曙(aurora)との類似こじつけはヲタクの本領発揮。
  あとはファンが勝手に深読みしてくれるのに任せればよろしい。
  とか言いつつも私はこの名前、けっこう好きだ。
  大層な意味がなかったとしても、かわいいよね。
veniya ; venire 来る、現れる L?
  venire>veniat(接続法現在形:もし~、などの仮定の際に用いる)のもじりか。
serere (種を)播く。 L.
krythe オオムギ G.
praiar 前 in front of~, ahead, before L?
   sol 太陽 L.
torrere 乾かす L.
solum 土地、底 床 L.

2)anu pluvia ire serere krithe, praiar nebula torrere laimos
 雨がやんだら畑に麦を播こう 水銀の雨が私の喉を焼く前に
→if/rain/go/sow/barley/before/mist/burn/throat

pluvia 雨 L.
ire 行く L.
nebula 煙霧 G.
 沸点が357℃の金属が常温で霧を作るものか。
 パンツァー語詩では「水銀の霧」と限定しているわけではないのが救い。
 ちなみに水銀化合物では、恐ろしいのはおもに有機水銀で、
 無機水銀のある種のものは、つい最近まで消毒薬などに使われておりました。
 (金属水銀の蒸気圧は小さいけれど、やはり吸い続けると有害とのこと。)
 パンツァーのエセ科学っぽさや、
 "Anu orta…"日本語歌詞は大好きなんだけど、
 さすがに「明らかに間違ったネタ」を扱われるとなぁ……。
 娯楽物語にケチをつけるのは無粋だとわかっちゃいるが、
 あれだけ悲惨な、水俣病などの経緯があるのだから、
 もう少しデリケートになっちゃくれないものでしょうか。
 高望みですか。
 付け足しとして言い添えておくと、
 深い井戸を掘ったとき、水に染み出してくる砒素による中毒のほうが、
 砂漠の公害問題としてより現実味と深刻性があるような気がします。
 ……どんどん嫌な客になっていくな、次はもっといいこと書こう。
laimos 喉,咽頭 G.
 
3)texere linum alere amnos 亜麻の布を織り 羊を追い
→weave/flax/raise/sheep

texere 織る L.
linum 亜麻 L.
alere 養う L.
amnos 牡の子羊 G.

4)intar skene kato uva ぶどう棚の陰にある小さな家で
→inside/tent/under/vine

intar ~のなかで L?
 inter ~の間に L.
 intra ~以内に、内部に L.
skene 天幕、覆い、(演劇の)舞台、楽屋 G.
kato ~の下へ G.
uva ぶどうの房 L.

5)in amatus ede evanescere ここにはもういない貴方と
→with/lover/already/venish(die)

in ~の中で(英語in)、~の上で(on)、~において(at)、~の中へ など L.
 パンツァー語だと、どうも英語のwithの意味で使われているらしい言葉。
 古代ギリシア語の同起源語enにはwith(~を用いて)の意味もある(らしい)。
 in L.=with(~を用いて)E. なら、in=with(~とともに)、だという解釈か。
 パンツァー語が英語ベースだと思うのはこんな時。
amatus 愛(された)人 L.
 amatusは男性。恋人が女性ならamataになる。
ede すでに G.
evanescere 失う、死ぬ、消える L.

6)in adein ie temar vivire 同じ歌口ずさみ生きていこう
→with/delight/go(or, Ah?)/(cut my way?)/live

adein <andanoの to plesure, delight アオリスト不定形 G.
 喜ばれる、気に入る、愉快である、よいと思われる
 本来はこの単語のaには帯気音記号がつくので、「ハデイン」と読む。
 パンツァー語は古代ギリシア語から「綴りだけで」語彙を引いており、
 そのアクセントは基本的に無視をし、ローマ字&英語読みをさせて作る。 
ie 古代ギリシア語η, ηε由来か。G?
 ηはアクセントによって全く意味が変わる。
 webでは書き表せないし、上で書いたようにパンツァー語作成者さんは
 アクセントを無視することになっているらしいので、ここでもそれに従う。
 正確な元ネタが知りたい方は、図書館で分厚い辞書でも引いてください。
 私はもう疲れた。
 η
 1)「動詞+η ~」=~よりはむしろ…。
 2)全く、たしかに
 3)おい、こら(呼びかけて)
 ηε
 1)~よりも、~か…か(than, or)
 2)ああ(悲しみの声)
 3)行く eimiの不完了過去単数形。
temar G?
 語源不明。
 temno(temei) 切る、切り開く、切り開いて進む G.
 temeron 今日 G.
 と何か関連があるのかもしれない。
 わざと綴りを変えて、いかようにでも読み取れる文を書いている?
どう読んでも、日本語詩にあるような、同じ歌を歌いながら…という意味はなさそう。
完全解読には意味がないものの、あえて読み取るとすれば、
「喜びをもって(道を)切り開き生きて行こう」か、
「喜びをもって今日も生きる」か、だいたいそんなところ?
文の最後にわざと意味をぼかしている。
後半の"kore noster"とあわせて考えるに、
このへんに作詞者の意図的なスタイルがあるのは明らかだ。

7)anu orta veniya serere krythe, praiar vont krystallos solum
 夜が明けたら畑に麦を播こう 風が土を凍らせる前に
→if/dawn/come/sow/barley/before/wind/freeze/soil

vont <ventus 風 L?
 綴りが詰められているのは、前の連との響きを揃えるためか?
krystallos 氷 G.

8)anu pluvia ire serere krithe, praiar hals krystallos kore noster
 雨がやんだら畑に麦を播こう 涙の塩が私の目を凍らせる前に
→if/rain/go/sow/barley/before/salt/freeze/daughter/our

hals 塩 G.
kore 少女、娘 G.
noster 私たちの(所有形容詞-複数-男性単数) L.
ここの意味は以前に書いたように、
「(涙の)塩が私たちの娘を凍えさせる前に」と読める。
贋作者はこういうベタベタなロマンティシズムが苦手なんですが、
それは私の好みの問題だとわかっているので……、
人によっては、この隠された意味はちょっと嬉しい発見なんじゃないかぃな。

意味のない衒学的な言葉遊びととる人もいるかもしれないけれど、
この種のファンサービスは、これからますます大事になっていくかも?
特に、パンツァーのような、軽めのマニアック作品を続けて作っていく場合は。
やたらに設定資料を書き散らして、ファンの想像力の根を細らせるより、
謎めいた隠し言葉をもう少し強めに織り込んでやれば、
さまざまな解釈の余韻を残しつつ、
作り手とファンとの間に強い絆を築くことができる。

今のところ、"Anu orta…"での試みはいかにもおっかなびっくりで、
どうにも、「誰か」に遠慮している感じがある。
(もしかしたら、この「誰か」は実在の「誰か」ではないのかもしれない)
よっぽど偏執的なファンじゃないと気づかない仕掛けなのが残念です。
真面目に「物語」を作り、言葉を選んでいく作業が、
そんなに恥ずかしいことだという意識でもあるのだろうか?
ただ単に時間がなかっただけかもしれないけれど。

悪照れしないで、もっともっと遊んでもいいのにー。

一読しただけで、前作"Azel"のテーマ"Sona mi…"との違いが強く現れている。
"Sona mi…"は、どちらかというと旋律が先にあって、
それに合う単語を辞書から探して書き並べていった、という作り方をしている。
逆に"Anu orta…"は、純粋に意味を成すものとしての詩が先にあって、
それに曲をつけていったようなのだ。

以前に私は、"Anu orta veniya"は完成度が高い、と書いたが、
それはプロであれアマチュアであれ、文章を書くものとしての遊び心と、
ただの単語の羅列でないゾ、という作者の意識が感じ取れたから。

作詞者は、ラテン語の活用をまるきり無視して詞を書いているものの、
けっして「それをまるきり知らない」わけではない。
歌の調子と合わせるためもあろうが、
venireをveniyaと変えているあたりは、ラテン語をただの借用ソースではなく、
意思を伝える道具として、活きた「ことば」として、
ささやかながらも敬意を払っているふしがある。
完全に活用の考え方を導入しようとしなかったのは、
仕事量との兼ね合いと、そしておそらく次回パンツァー語担当さんへの思いやり。
パンツァー語を「活きた言葉」にしたい欲望と、
逆に「自分設定」を極力増やさないように、という節制心が、
作詞者の中で常に戦っていたような気がする。スリルだ。

また、解読者をわざと迷わせるような綴りに変えてみたり、
日本語詩の意味を変えて(たぶん、書いた人だけが静かに楽しんでいたんだろう)、
1つの歌に二重の意味づけを与えようと試みたりしている。

ひとつに他人へ向けて、もうひとつは自分に向けて、物語書きは物語をつくる。
他人へ向けて、の部分が大きすぎると薄っぺらと呼ばれ、
自分へ向けて、の部分が大きすぎると独りよがりと言われる。
境目を恐る恐る踏んでみる、それこそが物語り書きの最も楽しい仕事の1つだ。
解読してみると、なんだ、そんなことか、ということであっても。
日本語をただ1語ずつ置き換えただけではできないことを、
"Anu orta veniya"の作詞者はやろうとしていたのだ。
これは、今までのパンツァー語作成過程にはあまりなかった新しい動き。

"orta"という作品がイロイロと未完成でアレなのは誰にでも理解できる。
しかし、それまで上手く行っていたかのようで実は未完成のままだった、
いわゆる「パンツァードラグーンの世界」に切れ目を入れたことは、
うるさ型のファンが忘れがちなことなんではないかと思う。
この先、娯楽の見せ方がどう変わっていくか楽しみです。

……でも意地悪だな作詞者さんは。
もしもファン小説で、"Anu orta veniya"歌詞の内容を
キャラクタが会話に上せる場面があったとして(ありがちだが)、
そこで日本語歌詞での意味を語ってしまっていたらどうにもならない。
これは同人封じのつもりかもしれないな。うがちすぎですか。

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